震災後の神戸を自分の目で見たのは翌年の冬で、まだ街のあちこちで通行が危険なところにはトラ柵と呼ばれるバリケードがおいてありました。
当時神戸に住んでいた伯父さんは写真家で、名古屋を訪ねてきたときにその時の写真を見せて「神戸は今どうですか?」と尋ねたことがあります。
伯父さんは『清澄、心配せんで良い。
敗戦した時は日本中に悲壮感が漂っていてまず自分が生きるのがやっとやったけど、日本はそれを乗り越えて来たんや。
今度の地震は大変やけど、神戸の廻りのみんなが助けてくれる。だから神戸は大丈夫や。』
その後の大震災で、取り上げられるのはいつも「絆」だけど、伯父さんから感じたのは辛さや悲しさを心に秘めて前に進む「勇気」だったように思う。